2011年1月12日水曜日

1月12日 第1回匠アンテナ取材

白金匠アンテナ第1回目の取材は港区白金1丁目にある押見製作所に行ってきました。
大学から見える白金タワーのちょうど裏側にある町工場で、
親子2代で「NC旋盤」(エヌシーセンバン)という機械を使って
ステンレスなどの部品を加工しています。
私が押見さんと出会ったのは白金志田町倶楽部の活動に関わるようになってから。
20102月に行われた「こころのたねとして@白金高輪」(http://gowesto8.exblog.jp/m2010-02-01/)では、
私と一緒に詩の朗読をしたメンバーの一人が押見さんの町工場を担当し、
その他にも志田町倶楽部の活動やその後の交流会では何度かお話する機会があったのだけど、
工場内を取材させてもらうのは初めてで、
こんなにも工場が面白いなんて思いませんでした。
押見さんの工場では、ステンレスや真鍮、鉄やアルミなどの金属の小さなかたまりを、
旋盤機についているいくつもの「バイト」と呼ばれるドリルのようなもので切削して金属部品を加工していて、
3台ある旋盤機のうち、2台は旋盤機にプログラムを入力して、
操作ボタンを押すといくつかの工程が一度にできるようなんだけど、
プログラムを入力するのに2時間程度かかることもあるそうで、
受注する部品は大量生産するのではなく、20個とかの単品の部品製作を受け持っているみたい。
残りの1台はプログラムを入力するのではなく、手動で切削の調節をするもので、
小さな町工場でも旋盤機が入り始めた昭和55年から今でも現役で働いている。
取材の際にお父さんも工場に来てくれ、白金の町が軒並み町工場が広がり、
町工場の従業員が商店を利用することで工業と商業が共に発展していた時の話を聴かせてくれた。
だけど、現在では再開発で地価が上がり、高層マンションが増え、
9割の工場はなくなってしまったんだって。
押見さんに部品を加工する過程を丁寧に説明していただいたあとは、
押見製作所周辺の町工場をいくつか案内してもらった。
その中の一つが斉藤螺子製作所で、話をしてみると工場主の斉藤さんは明学のOBさんだった。
詳しい年度をお聞きしなかったが、1970年代後半に今はない商学部を卒業し、当時の明学大の様子を話してくれたが、話を聞く限り、今はない建物の名前がいくつか出てきて、
大学内の建物は大きく変わっているようだった。
斉藤さんの工場ではベルトを動力として利用し、工場内そのものやねじを作る際に使う油の色がとてもレトロで私はなんだかとても好きな光景だった。
今回、いくつかの町工場を見学させていただいたが、それぞれの工場にそれぞれのにおいや音があり、金属加工の製作過程はとても興味深い。
それに、1つの工場を見学するだけになるかと思っていた第1回の取材だけど、
押見さんのネットワークで押見製作所周辺の町工場をいくつも巡ることができ、
そこで出会った工場主さんとの会話や人柄が興味深くて、
ますます白金の良さや魅力に魅かれていきそう。
まだ取材は始まったばかりだけど、これからまた、
白金の工場を一つ一つ開拓していきたいなぁと思う。
白金 匠アンテナ担当  石塚

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