2011年1月5日水曜日

第二回 こころのたねとして@明学


 2月に続いて、6月には明治学院大学にて「こころのたねとして」の発表を行いました。これは、6月末に行われた日本ボランティア学会の特別セッション枠として開催され、ボランティア学会のテーマであった「寄り合う場としての原っぱ」のもと、普段は学生や教職員という、特定の人しか集まらない大学の施設に、白金の住民の方々など、様々な人が集まる場「原っぱ」を現前させるべく、「こころのたねとして」を開催しました。
 白金に大学があるのに、白金の町や人について知らない、または関心がない学生。私も、きっかけがなければ、そのうちの1人であったかもしれません。それまでは、「シロガネーゼ」という言葉に見られるように、白金を「高級住宅街」や「セレブが住む町」というイメージで捉えてしまい、「シロガネーゼ」という言葉に捕らわれ、白金の町を表面的にしか見てきませんでした。しかし、白金志田町倶楽部の人々と出会い、白金の町や人々に関わるうちに、白金は、東京の下町にあたり、町には工場や昔ながらの商店街が町を盛り上げ、職人さんや、昔から続く婦人会に所属している人、新しくこの町に来たけれど、一生懸命町の取り組み積極的に参加している人など、白金の町や人の様々な姿を知ることが出来ました。白金の町は決して「シロガネーゼ」という言葉だけで、表現できるわけではありません。2回目の「こころのたねとして」は、明学という場を使うことで「寄り合う場としての原っぱ」を取り戻すとともに、明学に白金の町を現前させることも試み、それにより、白金の町や人について多くの人に知ってもらいたいと考えました。
 2回目の「こころのたねとして」は、前回取材した白金志田町倶楽部の会長さんや町工場で親子代々機械の部品を作っている方、鶏肉屋の主人や小料理屋の女将を始め、婦人会のみなさまや、白金志田町倶楽部の会員の方、カレー屋で働くネパール出身の人、美容室、お花屋、中華料理屋を営む人に学生がそれぞれ取材を行いました。今回もただお話を聞くだけでなく、一緒に町を歩きながら、昔の写真を見させてもらいながら、仕事を手伝わせてもらいながら、髪を切ってもらいながら、それぞれ話を聞いていた。また、それぞれ表現の仕方も工夫をし、猫や娘の視点を想像しながら表現をしたり、取材の際に交わした会話を再現したりと、住民一人ひとりを記録ではなく、記憶に残るようにこたねを丁寧に読み上げました。
そして10人分のこたねが読み上げられた時、表面的に見られがちであった白金の町は、厚みを増し、重層的な町として見られるようになったのだろうと思います。様々な人がその場で生活をしている、という「厚み」と、新しい町というイメージがある中、積み重ねられてきた町の歴史という「厚み」が、こたねを読み上げられたことによって、重なりはじめ、白金を重層的に見ることができるようになったのではないかと思います。
この「こころのたねとして」を開催したことで、明学は白金住民にとってどこまで「寄り合う場としての原っぱ」になったのか、今後しだいであると思いますが、発表の場のアートホールに、白金の人が何人も足を運んでくれたことで、「原っぱ」になる、まずは最初のとっかかりとなれればいいと、私は考えています。

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